【トゥルーマン・ショー】その人生、嘘か真か。ある男の人生を見守る一大スペクタクル!
ジム・キャリー主演、1998年公開の映画「トゥルーマン・ショー」。こちらの作品でジム・キャリーは、ゴールデングローブ賞の主演男優賞を受賞しています。
私はイエスマンよりこっちの方が好き。ジムキャリーがかっこよい。
あらすじはこんなかんじです。
ある町(離島)で生まれた時から40歳のこれまでずっと暮らしている主人公のトゥルーマン。トゥルー・マンはこの町から出たことがない。幼い頃に父親を海難事故で亡くしてから、海が怖くて船に乗れないどころか、橋さえも渡れなくなっていた。幼い頃のトラウマを除けば、特に派手なわけでなくとも順風満帆に過ごしてきたトゥルーマン。一方で、自分の人生は何かがヘンだと思い始める...。自分の人生は誰かに操作されているのではないか?自分の人生が自分自身でコントロールできない...。
そう、トゥルーマンは生まれた時からこれまで人生を24時間365日撮影され、全世界に放映されていたのだ!リアリティーショーの主人公であり、リアリティーショーの中でしか生きていない男だった。母親も妻も親友も同僚もご近所もすべてアクター、エキストラ。この町自体が作りもの。
そんな中、人生に何か大きな違和感を感じたトゥルーマンは、この町からの脱出を試みるが-ー。果たしてトゥルーマンは脱出に成功するのか、生まれ育った町で生きていくしかないのだろうか。
よくよく思うとシナリオがぶっ飛んでてそれはそれで脚本家の思考が興味深いのですが、最初は私たち視聴者もこの物語のからくりを知らずにストーリーが進んでいくので、ぶっ飛びシナリオに違和感を覚えることなくのめり込んでいきます。ストーリーにのめり込めるのは、やはりジム・キャリーの力でしょう。物語途中で、そのからくりに気づいたときにはもう後戻りできません。そして最後まで見終わったあと、もう一度最初のシーンを見直した人も多いはず。
トゥルーマン・ショーはコメディのように笑えるシーンもたくさんあるのですが、ヒューマンコメディと分類されるのはちょっと違うと私は感じます。もっと暗くて黒い。ゾワっとする。なんならサスペンス。何がゾワっとするかというと、町の住人(アクターやエキストラ)にです。
視聴者はトゥルーマンの幸せを願っている節が見受けられるのですが(最後のシーンでは皆んな喜んでましたし!)、アクターとエキストラはほんと怖い。母親や妻、親友などトゥルーマンにごく近い人たちが、最後トゥルーマンの味方になって脱出を手伝ってくれることを願ったのですが…なんて残酷な人間なんだと腹立たしく思うくらい、人間の嫌な部分をまざまざと見せつけられます。
この話ってまさに現代につながるものがあると感じています。つい先日、日本のリアリティ番組に出演していた女性が、SNSでの誹謗中傷により自ら命を断つというとても悲しい出来事がありました。
顔や名前が世間に知られている有名人じゃなくとも、私たちは結局、誰かのコントロール下で生きることしかできないのではないか。鳥かごの中でのみ与えられている自由を生きているだけなのではないか。それが鳥かごの中だとも気が付かずに。
トゥルーマンのようにわかりやすく作られた人生じゃなくても、いきなり人生への息苦しさを感じさせられました。自分には今見えないけれど、特別な人だけが持つことを許される特殊なライトを当てたら、透明の壁が見えて自分の半径何キロかを取り囲んでいるようなそんな気分。もしかしたら、その囲いの中の方が安全なのかもしれないけれど、囲いの外に出たいと切望する気持ちもわかるなあ。
一説には、陰謀論も関わっている話としてとらえることもできるらしいですが、私はそこまで深く考えられないので、陰謀論は置いておきます。
ちょっとどころかだいぶブラックな部分を感じますが、笑いあり、涙あり、ハラハラありでエンターテインメントとして単純にも楽しめる映画です!誰かと観るより、一人でじっくり向き合うのにおすすめです。
【僕らは奇跡でできている】どうしてこんなに言葉が染みるんだろう
2018年10月クールのドラマ「僕らは奇跡でできている」、私このドラマだいすきです。
主演が高橋一生なのですが、ピタリと役がハマっていて、観ていて心地良い。ドラマ内で公言はされていませんが、主人公の相河一輝は発達障害(きっと間違いなく)。自分の興味があることにしか興味がなく、人からどう思われているかなんてみじんも感じない、生物を愛し動物行動学を教える大学教授です。
ほか、榮倉奈々や戸田恵子、小林薫ら俳優陣もそれぞれの役がすんと馴染んでいて、その役どころもそれぞれが自分の人生における役割をまっとうしている気持ちよさがあります。アンジャッシュの児島も変人な教授役で出演しているんですが、くすっと笑える要素をもたらしてくれる結構大切な役どころだったりします。物語後半で、学校を休み続ける一輝さんを心配して、一輝さんの家を訪れるシーンには少しほろりとしました。
このドラマはとにかくセリフがすてき。一つひとつの言葉が丁寧に紡がれています。開けると星とか鳥とかの様々な形のアイシングクッキーが詰まっている缶のように、物語の中にはいろんな人のいろんな角度からの言葉が詰まっています。今日はどんな言葉と出会えるだろう、とワクワクするんです。
「僕は一番仲良くなりたい人と仲良くなれたので、それでいいんです。ーー自分です」
相河一輝が発する言葉の一つひとつは、世間の目(主に会社の目や義母の目笑)を気にして生きている私の胸に"ずしん"です。世間の目を気にせず、純粋な心でじぶんと向き合っている一輝さんのことばだからこそ、嘘くさくなくて説得力をもつのでしょう。
榮倉奈々演じる歯科医の水本育実は、バリバリのお仕事ウーマンで、多分最も一般的にいう"ふつう"の人。だから水本先生に自分を置き換えて見られるのも、ストーリーに入り込むひとつの要因になっている気がします。
ストーリー展開は決して派手ではないのですが、ちょっと驚きの展開があったり、ちょっともどかしさがあったり、ちょっと胸きゅんがあったり、ちょっとハラハラしたり…そんな"ちょっと"の要素が散りばめられていて、飽きることなく、そして疲れることなく、見続けられます。
こういう丁寧な物語がほんとすき。あとお食事のシーンがあるドラマがなんだか好き。「僕らは奇跡でできている」も、山田さんとの食事シーンが素敵なんですよね。ピリ辛きゅうりが食べたくなります。
固定観念がちがちの人や、現状がなんだかモヤモヤするひとにぜひおすすめしたいドラマです。
【麗しのサブリナ】オードリーヘプバーンらしさ満点!夢見るシンデレラストーリー
オードリーヘプバーン主演の「麗しのサブリナ」。1954年公開のモノクロ映画です。
私の大好きなエッセイストである中山庸子さんの本でおすすめされていて、映画を観てみました。
あらすじはこんなかんじ。
大富豪の家で住み込みお抱え運転手をする父と暮らすサブリナ(オードリーヘプバーン)。そのお屋敷の次男坊ちゃんに恋焦がれるサブリナですが、父からは「現実をみろ」ととがめられ、料理を覚えるためにパリへ料理留学へ。
おてんば少女だったサブリナは、パリでエレガントな女性へと成長してアメリカへ帰国。帰国日に次男坊ちゃんと偶然遭遇し、次男坊ちゃん、まんまと美しさに惹かれていくのです。
そこから2人の恋が盛り上がると思いきや…そこに登場する長男坊くんが話を展開させていってくれます。
中山庸子さんの本でも書いてある素敵なシーンを。次男坊ちゃんのことを好きなサブリナは「月に手を伸ばすな」と父親に言われてきました。でも帰国してもまだサブリナは彼が好き。諦めるよう促す父親に対して…
「ちがうのよ。月が手を差し伸べるのよ」
というシーンが、なんとかっこよくてエレガントなことか。自分が自分を信じてあげる、そんな姿に女性として勇気をもらえます。
大富豪家のお抱え運転手の娘、ということで私がサブリナなら「分不相応だわ」と思って最初から恋することを諦めそうですが、サブリナは身分なんて気にしないわけです。身分は身分、私は私、彼は彼。
現実世界で、サブリナのような女性がいたら、きっと変わり者扱いというか、夢みがちだと思われるのでしょう。でもそんな、自分の気持ちに素直に生きるサブリナのことを羨ましいと思い、応援したくなる…ということは私はサブリナのようになりたいのかも!憧れているのかも!とふと、自分の願望に気付いたり。
シンプルにオードリーヘプバーンの美しさにうっとりしたり。オードリーヘプバーンって、びっくりするほどウエストが細いんですよ。そして声が可愛いし、しぐさがチャーミング!
インターネットもないスマホもない時代特有の手紙や公衆電話でのやりとりから、そのロマンティックさにときめいたり。昔の恋愛って、なんだか今より濃く感じてしまうんですよね。それが良い面もあれば、だからこそ起こってしまうすれ違いのようなものも確実にあるわけで。今の時代にはもう経験のできないので(スマホ持ちません!というなら話は別ですが)、すれ違いによる恋愛のもどかしさを疑似体験させてもらっている気分になります。
穏やかな休日、お気に入りのハーブティーとをおともにソファへゆっくり腰掛けて観るのにちょうどいい。そんなリラックスしたラブロマンス映画です。
【Mother】余韻が抜けないドラマNO.1。愛の形を考える社会派物語
2010年に放送されたドラマ「Mother」を、2020年に観ました。
Motherといえば、天才子役・芦田愛菜ちゃんが世に名を轟かせた作品。
私はとても素晴らしい作品だと思います。見終わって何日もこのドラマのこと考えちゃうくらい、印象に濃く残る作品です。
簡単なあらすじはこんなかんじ。
小学校で臨時教師として働くある孤独な女性(松雪泰子)は、自身の担任をしているクラスの児童(芦田愛菜)が虐待を受けていると気づく。そもそも子供が苦手だけれど、虐待をされている児童のことを放っておけず、何かと目を配っていた。そんな中、真冬の北海道のある夜に、その児童が自宅前でゴミ袋にいれて放置されているところを発見する。本能のまま児童を保護をして看病している中で、女性は「私がこの子の母親になる」と決意をし、児童を誘拐する。
北海道から女性の実家のある東京へ向かい、あらゆるトラブルや問題に直面し、親子とは、母親とは、ということを「愛」によって問いかける作品。
毎話、涙なしには観られませんでした…。つらい涙もあれば、あたたかすぎて流す涙もありました。
ストーリーとしては、「こんなことあり得ないでしょ」と思うものなんです。だって、子供を誘拐して名前も変えて普通に育てるって現実的にどうなのよ、と。でもねえ、Motherのストーリーが成り立つ理由は、"そうできたらどんなにいいことか"という誰もが抱く感情に共鳴するからだと思うんです。
子供が虐待されていると知りながら、当事者である子供は親を庇うために本当のことをいわないし、証拠がないためにどうにもしてあげられない。
すごくもどかしいじゃないですか。その視聴者の気持ちにフィットしているんですよね。皆んなが抱えるモヤモヤを代弁してくれるナビゲーター的役割もいますしね(山本耕史)。「こうできたらいいのに」って思うことなわけなので、現実的な話じゃなくても受け入れられるんだと思います。
また、Motherが素晴らしい作品の理由としては、二層構造になっていることも大きい。
松雪泰子と芦田愛菜ちゃんの偽母子の涙ちょちょぎれ話かと思いきや、松雪泰子サイドにもうひとつのストーリーがある。なんならそっちの方がショッキングだったりして…。それがあるからこそ、Motherという話がもっと深く、もっと切なくなっています。
また、田中裕子と高畑淳子が、もう名女優!!!あの二人がいなかったら、ここまで印象に残るドラマにはなってなかったです(私はにとって)。田中裕子さんが手洗い場で泣くシーンなんて、もう切なくて切なくてしんどかったですもん…。
理容室、ポスト、寝台列車、駅のトイレ、渡り鳥、遊園地、歩道橋…胸がぎゅってなる場所の効果もすごくて。なんでしんとしている理容室(床屋)ってもの悲しい雰囲気なんでしょうか。一つ一つの場所にそれぞれのストーリーがあって、単なるシーンが全然ないんですよね。
画面に映し出されるシーンがすべて、セリフがなくても役者さんがでてなくても、意味をもっていて。
脚本はかの有名な坂本裕二さんですが、坂本さんの作品って描写がほんとーに丁寧で、食事のシーンが素敵で、そして毎話ごとに秘密が明らかになっていく、っていうところが私は大好き。Motherもすべて当てはまってます。
あのセリフ、登場人物の行動の意味することってなんだろう?っていう伏線が毎話あって、毎話丁寧に回収されていくかんじ。好きだなあ。
坂本裕二さんのトレンディドラマは観たことないので、そっちも観てみようかな。
Motherは重い系のドラマなので、よし観るぞって思って観る方がおすすめ。でも観た後に絶対に「良いドラマ観たな」と思えるので、2.3日家に引きこもる日とかにはぜひ、というドラマですね。
【湯を沸かすほどの熱い愛】最後の最後に合点するタイトルの真意に鳥肌!
2016年公開の宮沢りえ主演「湯を沸かすほどの熱い愛」。杉咲花ちゃん、松坂桃李くん、オダギリジョー出演。桃李くんが若くて黒くて新鮮…♡
さて映画レビューですが、切ないストーリーの中に胸がグッと熱くなる映画。日曜日の夜18時30分からサザエさんをみている自分の心情と似た、平和でやわらかい中にも堪え難い虚無感を感じさせる作品でした。スポブラいいですね。スポブラを曇り空の下で母親が干しているだけで何でこんなにも、あたたかくて切ないのでしょう。私自身が女性だからスポブラ期の、どんどん“女”になっている自分への恥ずかしさと、周りの目もどんどん気になりだしてくる複雑な気分が蘇ってきました。でもこの作品、脚本・監督が男性なんだよなあ。すごいなあ。
日本アカデミーで最優秀主演女優賞に輝いた宮沢りえの演技は言わずもがな。ストーリーの中でどんどん痩せてやつれていく様子が怖いくらいリアルだし、子供に対する強い愛の表現が美しい。カラダとココロ(ハート)の悲しいくらい乖離した“差”をまざまざと感じられる素晴らしい演技でした。
同じく最優秀助演女優賞、新人女優賞をとった杉咲花ちゃんもやはり素晴らしい女優さん。以前に仕事でナマ花ちゃんみたけど、抜群のオーラだったなあ。ちょっとキテレツなシーンも花ちゃんだとあぁこの子ならこうするよね、って受け入れられるからすごい。
桃李くんもオダギリジョーも好きなんですよ、私。だから天才的なキャスティングです。脚本・監督は中野量太さんという方で、「湯を沸かすほどの熱い愛」が商業映画のデビュー作らしいんですが、こんなに素晴らしいキャストを揃えられるってどうして、すごいと素直に感じちゃいます。
わりと謎めいたことばかりの中ストーリーが進んでいくのですが、テンポが良く、ストーリー序盤で出てきた伏線のワードが、あぁここで活きてくるのか、ときちんと腹落ちする内容。お母ちゃんが双葉として“居る”ときのシーンなんかは、終盤にしてやっとお母ちゃんがお母ちゃんになった理由がわかるというか。お母ちゃんの真の強さをかんじられますね。伏線が自然で、伏線自体にちゃんと意味があって腹落ちした時にとても気持ちいい。
ハイライトはたくさんあるんですが、わかりやすいのはやはり最後のシーンですかね。正直私は「うえっ」って思ったんです。いきなりつくり話感強っ!みたいな気分で。(もちろん、あのシーンは“本当にそうなのかどうか”は定かではありません。…ネタバレしないように書くのは不可能でもどかしいっ)でもねえ、やっぱり俳優陣のチカラが、そのぶっ飛び感を凌駕しているんです。あそこに君江さんがいることだけが私は嫌ですが、まあそれもお母ちゃんの愛の現れということで。
最後の最後に、丸っときれーいに収まりタイトルの意味に行き着く。巧妙な話の展開なのに、最後は潔くて、後味の良い作品ですね。「良い映画みたなー」と素直に思えました。